「習うより慣れよ」から「慣れたら学べ」へ

「このままじゃ駄目だな……」。そう思ったのは大学院に入学する1年前。企業広報として10年の実践キャリアという自信が少しずつ崩れるのを感じていました。
デジタルを中心とするコミュニケーションの台頭で、企業広報のあり方が音を立てて変わり、これまでの業務のなかで積み上げてきた知識や経験則が、通用しにくくなっていました。従来型のメディアでの自社の露出に一喜一憂している傍らで、SNSをはじめとする新しいメディアが、様々な視点から情報を拡散し続ける現実を目にし、新しい知見を得たいという切迫した思いに駆られて進学を決意しました。これからの自分のキャリアのために、また後進育成のためにも、体系だった知見を得ておきたいと考えました。

「文化」と「コミュニケーション」

大学院に通い始めてからの気づきは、「広報の仕事で役に立つ知識」を直接的に習うよりも、その背景にある社会の仕組みやうごめきから、様々な学問分野の知識を参照し、新たな知識・知見を見出していくことの方が、学びの楽しさを実感できるということでした。

とりわけ、どの学問分野にも属さず、人々の暮らし・日常で何となく起きている現象を知識に落とし込もうとする学際領域の研究に興味を抱きました。そして研究テーマを「多文化共生社会におけるコミュニケーション人材向け学習プログラムの開発と実践」に決めました。「文化」と「コミュニケーション」の学際領域です。
多文化共生社会では、価値観の相違によるトラブルが多く生じています。例えば、ある国の人は「会議は議論する場」と考え、日本人は根回しをした後に行う「合議の場」と考えることが多いなど。また、SNS炎上やミスコミュニケーションによる誤解・相互不理解といった現象も文化の差異によるトラブルのひとつと考えました。
そうした領域を探究し、文化の差や価値観の差を数値化して、個々の能力を改善する学習プログラムを開発しました。プログラムの実践では自社のメンバーから協力を得て多文化への適用能力がどれだけ上がるか試行し、一定の成果を得ることができました。こうした実務的な知見を得たことや視野が広がったことは、大学院で得た大きな収穫です。

キャリア迷子を予防する

20年間の社会人生活では、「習うより慣れよ」と言われながら感覚的に実践キャリアを積み上げてきました。大学院はそれを根底から考え直す大変貴重な機会となりました。
『慣れたら学べ』―社会での様々な実践経験を学術理論から見つめ直し、体系的に整頓する。その社会実践と学習の繰り返しが自己を磨くということに改めて気づかされました。
そして、あらゆる活動の前提となる社会背景が目まぐるしく変わるこれからの時代、「経験(慣れる)」だけではなく「学ぶ」という 2つのサイクルを回すことがキャリア迷子の予防になることを痛感しました。大学院で学んだ経験や知識を、広く社会に役立つような価値創出に活かすべく、次の実践と学習を繰り返していきたいと思っています。

 

【研究テーマ】企業価値向上の為の『開発と実践』

  • 研究テーマ決定のきっかけ
    「広報部門の将来が見通せない」。そう思ったのは、社会構想大学院大学入学の1年前だった。SNSをはじめとするメディアの多様化によりネット中心のコミュニケーションは複雑化の一途だった。未来への示唆となる研究がしたいと意を決し、入学後は研究テーマ選定のため文献調査を進めた。そして大学院での講義内容と相まって少しずつ視界が明るくなった。多様なメディアの先にいる多様なオーディエンスが存在する「多文化共生社会」を前提に、目まぐるしく変化する社会に潜む小さな声に耳を傾ける対話型コミュニケーション活動への進化。これこそが広報部門の未来を明るくする。こう確信し、テーマが決まった。
  • 学習プログラムを考案
    広報をはじめとする企業のコミュニケーション業務実務者に対して、コミュニケーションエラーによる企業のレピュテーション低下リスクの軽減を目的に、「異質な他者」を理解するための学習プログラムの開発と実践、そして効果検証を行った。プログラムの開発にあたっては、ダイバーシティ推進の歴史的変遷を概観しながら、多文化共生社会が進行する背景について調査。また文化の摩擦によるコミュニケーションの衝突を逓減するための異文化コミュニケーションの理論を整頓し、異文化理解に必要な能力について研究した。さらに研究の成果を客観的に測定するために異文化理解力を定量化する研究についても調査を実施。そして、研究した理論に基づいて「異質な他者」を理解するトレーニングプログラムを考案した。企業で実際にコミュニケーション業務に携わる19名の実務者にトレーニングを実践。結果、参加者全体でCQスコア(文化知能指数)が向上し、トレーニングの有用性が確認できた。またトレーニングの効果が、他者への理解を超えて「未知の出来事を想像する力」の習得や、参加者の属性による効果の差異など、コミュニケーション人材育成の研究分野において新たな知見を明らかにすることができた。
  • 実務でどう活かしているか
    現在、私は広報部門を離れ経営戦略部門でトップコミュニケーションのデザイン・制作に従事している。トップコミュニケーションは社内外の様々なステークホルダーに対し、それぞれの目線でコミュニケーションを交わさなければならず、また社内外からの情報収集も必要なため、研究で学んだ「異質な他者への理解」が様々な場面で活かされている。今後は個人のスキルに留まらず、企業・組織として社会に役立つための仕組みに変えて、企業価値向上にも貢献したい。そして、人々が幸せを感じ、多様な個性が輝く未来に向けて、自己研鑽を重ねていきたい。

上原 大輔

上原 大輔

(うえはら だいすけ) 
電機メーカーに技術者として入社後、マーケティング、広報を経験し現在は経営戦略部門に所属。
2021年修了